2021-10-12 第205回国会 参議院 本会議 第3号
SACO合意から二十年以上が経過をしました。アメリカの会計検査院の報告書や米国の戦略国際問題研究所からもその完成に疑問符が付き始めています。 沖縄の民意をしっかり受け止め、一旦工事を停止し、抑止力を維持しつつ、辺野古移設以外のほかのオプションはないのか、日本から基地の在り方の見直しをアメリカに提案するべきではないでしょうか。総理の見解を伺います。
SACO合意から二十年以上が経過をしました。アメリカの会計検査院の報告書や米国の戦略国際問題研究所からもその完成に疑問符が付き始めています。 沖縄の民意をしっかり受け止め、一旦工事を停止し、抑止力を維持しつつ、辺野古移設以外のほかのオプションはないのか、日本から基地の在り方の見直しをアメリカに提案するべきではないでしょうか。総理の見解を伺います。
そして、沖縄の負担軽減を目的としたSACO合意、あなたがおっしゃっていましたやん、をかけ離れた軍事要塞化が進んでいる、政府は地対艦誘導弾の部隊を……
そういった意味から、私も今日は浦野代議士に代わって質疑させていただいていますけれども、できれば、勉強をすると、今回の件についても、SACO合意ですか、スペシャル・アクション・コミッティー・オン・オキナワですね、これは平成七年、一九九五年、日米両政府による設置、あるいは、昔を思い出す、いわゆる思いやり予算と言われるような部分、いろいろ、今も赤嶺先生が質疑されたようなこと、いろいろ何層にもわたって今の仕組
そもそも、平成八年のSACO合意の原点になったのは、住宅密集地のど真ん中にあって、万が一事故が発生すると人命を失うおそれが強い普天間飛行場の早期の危険性除去、この一点であると言っていいわけであります。 宜野湾市の松川正則市長は、令和元年六月、宜野湾市民のことを真っ先に考えると現状では辺野古移設について容認せざるを得ないと表明されています。
ちょっとまた、今年はSACO合意二十五年になりますから、今それをどう考えるかということについて質問を移します。 今年は日米両政府が普天間基地の全面返還に合意してから二十五年になります。当初の五年から七年以内に返還するという約束、普天間基地は五年から七年以内に返還するという約束は果たされませんでした。四半世紀にわたって普天間の危険性は放置され続けてまいりました。
そして、日米のSACO合意の中でもこうしたことが話されてきている中でできていることも事実であります。 まさに世界で一番危険な普天間飛行場の移転として考えている唯一が辺野古であります。このことは、日米でしっかり連携して取り組んできているということも事実であります。 国民の、県民の皆さんの住環境や、また環境に配慮しながら辺野古移設というのは進めさせていただきたい、このように思います。
安倍政権は一日も早い普天間の返還と言っていますが、九六年のSACO合意から二十四年も経過し、今後十数年掛かる工事を強行しています。沖縄では、二〇一八年十一月、岩国飛行場拡張工事などを参考に、辺野古新基地について、工費は二兆五千五百億円、工期は十三年掛かると試算しています。
SACO合意からそれでは三十年以上も経過してしまいます。 政府は、沖縄県の民意を無視した土砂投入を中止し、米国と辺野古見直しについて協議するべきではありませんか。お答えください。 北方領土問題に関しては、安倍総理がロシアのプーチン大統領と二十七回もの首脳会談を重ねているにもかかわらず、進展が見られていません。残念です。
そして、嘉手納基地でのパラシュート降下訓練という、SACO合意違反なのか、米国の認識違いなのか、はたまた、日本がなめられているわけではありませんが、この状態ではとても沖縄の方が安心していられるとは思いません。 やはり、訓練、演習には、ドイツ、イタリアのように、日本の承認を必要とするべきと考えますが、米国に対し何らかの交渉は行っておられるのでしょうか。
もう河野防衛大臣は明確にこれはSACO合意違反だから中止すべきだと言ったにもかかわらず、米軍が強行する。最近の記事では、戦闘機を操縦中に自撮りをやっていたというような記事も出ています。 やはり、米軍に対して、これは外務省、外務大臣からも強く言わないと、日米の信頼関係を損なうことになると思うんですけれども、いかがでしょうか。
SACO合意の目的は、沖縄の基地負担の軽減にあるはずです。一部の地域に負担が集中し、従来以上の負担に苦しめられているのでは、SACO合意の趣旨に反します。 大臣は、伊江島で基地負担が増大していることについてどのように認識しておりますか。
○河野国務大臣 SACO合意が原則であるということに変わりはございません。
要望書には、ことし四月の米兵による女性殺人事件、八月のCH53Eヘリの窓の落下、六月の浦西中学校への部品落下、本部港の米軍使用、SACO合意後、最多回数に並んだ嘉手納飛行場でのパラシュート降下訓練、過去最大の騒音測定値を観測した普天間飛行場や嘉手納飛行場の航空機騒音、両飛行場の河川等におけるPFOS等の高濃度の検出などが列挙されておりました。
もうSACO合意から二十三年も経過している現案に固執することなく、大臣としてリーダーシップを発揮していただき、新しい視野とアプローチで問題解決に当たっていただきたいということをお願いして、質問を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
嘉手納基地周辺の市町村長や住民は、相次ぐSACO合意違反の訓練強行に強い怒りを示しております。 問題は、岩屋大臣が五月二十四日の記者会見で、米軍によるパラシュート降下訓練はやむを得なかったと容認姿勢を示したことであります。
まさにこの負担軽減として目に見える形で沖縄問題に対応しなきゃならないという形で、SACO合意、今から二十三年前に、これ日米で負担軽減、話合いが決まっていたんですけれども、残念ながら、このことが全くと言っていいほど進んでおりませんでした。 そういう中で、北部訓練場四千ヘクタール、これはまさに本土復帰以来最大規模の返還であります。ここをさせていただきました。
SACO合意で四千ヘクタールが返還された、最大の返還という割には、さっき、訓練空域、返されていないじゃないかというものもあるわけですから、余りそういうことを言わない方がいいと思いますよ。返してから、どうだということを言ってみてください。 沖縄が米軍の占領下に置かれていた一九五七年、昭和三十二年に米軍からの一方的な通告によって接収され、基地に変えられたのが北部訓練場です。
その後、平成八年のSACO合意において、七千五百ヘクタールにある訓練場のうち、その過半、約四千ヘクタールを返還することとされ、平成二十八年十二月、返還予定区域に所在するヘリコプター着陸帯の移設工事を完了いたしまして、返還が実現したところでございます。 この北部訓練場の過半、約四千ヘクタールの返還は、平成八年のSACO合意以来、二十年越しの課題であります。
これもSACO合意であります。 そういう中で、現在、沖縄に存在すると言われる米軍、二万八千人おります。そのうち九千人が海外に出ていくということ、方向性は既に示されています。そのための一つ一つ、やはり辺野古移設ということを実現したい、このように思っているところであります。
また、SACO合意、この報告の中で、その計画に従って、既に沖縄の米軍基地の約二割が返還されておりますが、日米で合意した計画が全て実現をすれば、沖縄の米軍基地は本土復帰直前の状態と比べて半分にもなるんです。 ですから、政権としては、この米軍基地の半減目標を現実のものにまずしていくことが責務であるというふうに考えておりまして、一つ一つ、着実に結果を出していきたい、このように考えております。
SACO合意や日米両政府による統合計画に至る一連の基地返還の歩みの原点は、住宅地のど真ん中にあって、世界一危険だと言われている普天間飛行場の閉鎖と返還です。 なぜ、普天間の閉鎖と返還が原点なのか。これは、命の危険、命のリスクがあるからです。普天間飛行場が住宅地のど真ん中にある以上、周辺に暮らす県民の命にかかわる危険性、リスクがあることは改めて申すまでもありません。
二〇三〇年まで、九六年のSACO合意から三十五年もの間、普天間基地の危険性を放置される、危険性が除去されないことが続くことになります。 安倍総理は、辺野古移設は普天間の危険性を一刻も早く除去するための唯一の解決策と言っています。このように、辺野古に固執する安倍政権のかたくなな政策そのものが普天間の固定化を招いていると思いませんか。
そういう中で約二十三年前にSACO合意がされたわけであります。そして、それから三年掛けて地元の市長と知事が辺野古移設というものに同意をされて、閣議決定をして、いろんな紆余曲折ありましたけれども、私たち安倍政権になって、埋立申請をし、そして当時の仲井眞県知事から許可をいただいて今進めさせていただいています。
安倍政権となって、例えば西普天間住宅約五十一ヘクタール、北部訓練場約四千ヘクタール、キャンプ・キンザーの国道五十八号の拡幅用地三ヘクタールの返還のほか、先ほど官房長官からお話がありました空中給油機の岩国への移駐など、今から二十二年前のSACO合意で決まっていたものを一つ一つ実現をしてきたところでございます。
○有田芳生君 普天間の移転という一九九六年十二月のSACO合意の前提は、朝鮮有事ですよ。それが変わりつつあるときに、やはり新しい局面においては新しい交渉をしなければいけないというふうに私は考えております。 更に大臣に伺いたい。 じゃ、それだけ民意を大事にするとおっしゃった防衛大臣は、辺野古の新基地建設現場、視察されたことはありますか。